《Beneath the Oak (椎本)》 Though with this caveat, he encouraged replies. It was Nakanokimi who set them down. Oigimi was much too cautious and deliberate to let herself become involved in the least significant of such exchanges. The prince, ever deeper in melancholy, found the long, uneventful spring days harder to get through than other days. The beauty and grace of his daughters, more striking as the years went by, had the perverse effect of intensifying the melancholy. If they were plain little things, he said to himself, then it might not matter so much to leave them in these mountains. His mind ran the circle of worries and ran it again, day and night. Oigimi was now twenty-five, Nakanokimi twenty-three. It was a dangerous year for him. He was more assiduous than ever in his devotions.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
自筆「源氏物語」の「椎本(しいがもと)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。@1932年 現代中華民国満洲国人名鑑 検索:支那 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 孫文 国民党軍 生写真 古建築 総督府 汪精衛 溥儀 張作霖 関東軍。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。1956年 絵本 連環画 孔雀東南飛 日本語 検索: 唐本 漢籍 漫画本 美術 傳説 人物絵 仕女絵 美人画 挿絵 小人書 古書 支那 中華民国 古典傅奇。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。由利公正書幅。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。1931年 支那 古書 汪精衛 蒋介石 馮玉祥 孫文 関東軍 陸軍閥 国民党 租界 生写真 革命党 孔祥熈 洋行 巡捕 満洲 総督府 張学良 支那 古建築。現在の今上天皇と系譜がつながっている。(和本)木曽路名所図会 全7冊揃 秋里籬島編 西村中和画 和泉屋源七ほか板。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。@1929年 王陽明傳習録 掃葉山房 漢文 古籍 検索: 唐本 漢籍 支那 玉扣 善本 線装 木版刷 木刻本 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 清朝 内府。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。即決 1869(明治2)年『盛岡暦』アンティーク、天文暦学書、超希少、陰陽師、卜占、古暦、明治維新、地方暦、舞田屋版、南部暦、岩手県。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。武州高麗郡入間郡 諸検使書留 赤井利兵衛。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。即決・極稀◆「新史学」木村鷹太郎 直筆書簡(坂本辰之助宛)大正12年頃。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。1938年 支那事変 画報 中華民国 軍閥 旧日本軍 関東軍 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 国民党軍 生写真 古建築 総督府 汪精衛 南京 満洲 蘇州 盧溝橋。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。野々口立圃俳句俳文俳畫巻 江戸前期の俳画の先駆者野々口立圃の真筆絵巻。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。免園雜録 高野長英 高橋元貞 蛮社の獄。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。桃太郎御話聞書 淘祖春龜齋丸三先生御話。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。1932年 唐拓九成宮醴泉銘 唐本漢籍 検索:支那 柯羅版 玻璃版 原色 原拓片 北魏碑帖 法帖 法書道 印譜 善本 古墨拓本 碑刻石 瓦当 金石篆刻。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。筑波征伐元治太平記 水戸天狗党 武田耕雲斎。また、各巻ごとの書かれた年については不明。f20100201〇中村不折 直筆画 明治・大正・昭和期に活躍した日本の洋画家・書家。正五位〇和本古書古文書。従って、応永五年とは、書き始めの年である。本多弾正少弼書状 真田伊豆守宛。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。虞列伊氏解剖訓蒙圖 乾坤巻 松村矩明序譯出板 明治五年刻成。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。中国の遊印 検索:印譜 和紙 朱印存 封泥 古印社 篆刻 金石印 石鼓文 篆印 落款 古璽 支那 拓本 法書道 秦漢印 唐本漢籍 缶廬 鄧石如 呉譲之。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。支那事変・海軍航空隊奮戦画報・空臨時増刊/海軍省軍事普及部監修/昭和13年/南京上空の殲滅的空中戦/京空襲の懐出/支那事変空爆日記。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。豊大万寳古状揃 鱗形屋孫兵衛板。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。文化新撰 狂歌百人一首 六樹園撰 北尾重政画。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。覺鑁大師 孝養集 上中下巻 116-11。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。1894年 明聖真経 光緒年 木刻本 検索: 唐本 漢籍 善本 写刻 官本 筒子頁 白棉紙 巾廂本 殿本 聚珍板 経折本 木版 紅印譜 支那 宋版経 古籍。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【推薦!貴重・稀少戦前和書【全頁流麗絵入+説明入】日本歴史畫集 合戦国武将軍武者絵浮世絵本天皇武田信玄上杉謙信徳川家康古書籍骨董仏教。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。(和本)標註十八史略正文 全7冊 渡井量蔵標註 内藤傳右衛門板。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。1933年 熱河風景 82図 承徳 避暑山荘 何應欽 黄郛 蒋介石 支那 中華民国 軍閥 閻錫山 馮玉祥 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 満州事変。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。1936年 漢書 唐本 漢籍 上海大光書局 精装本 検索: 善本 宣紙 白棉紙 玉扣紙 木版 木板 木刻 套印 紅印 初版 殿本 聚珍本 漢文 漢学 漢印譜。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。趣味の絵科学・飛行機と航空船/白川稔/昭和8年/本書は面白く分り易い最新科學の教科書であるが写真図解による解?を主とし文字は従とした。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。磯まくら 冥々 乙人 東北俳壇 俳諧 俳書。
出品した「源氏物語」は椎本(しいがもと)の内容の要旨
「椎本」(しいがもと)の巻は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。新撰彫物画譜 小島勝美画著 彫刻。二月二十日ごろ、匂宮(今上天皇の皇子)は初瀬詣で(長谷寺参詣)の帰りに宇治の夕霧(源氏の君の長男)の別荘に立ち寄る。はいかい 如是我聞 俳諧 浮簽狂人久藏著 贅亭主人諫圃(夏目成美)校 小林一茶他。宇治の八の宮の姫君たちに関心があったからだ。新撰 戯子名所圖會(やくしゃめいしょずえ)三巻合本。匂宮は薫や夕霧(源氏の君の長男)の子息たちと碁や双六をしたり琴を弾いたりして楽しんでいる。新版 島原軍物語 巻中(上中下巻内) 寶永元年版。宇治川を挟んだ対岸にある八の宮邸にもそのにぎやかな管弦の音が響き、八の宮は昔の宮中での栄華の日々を思い出さずにはいられない。善光寺如來三國傳來物語 巻第五(大尾) 江戸日本橋/万屋清兵衛板行。翌日、八の宮から薫に贈歌があり、それを見た匂宮が代わりに返歌をする。善悪道中記 初編~六編 一筆戯作。匂宮は帰京後もしばしば宇治に歌を送るようになり、八の宮はその返歌を常に中君に書かせるようになる。春興噺萬歳 巻之一・巻之二(全五巻内)。年の暮れの雪の日、宇治を訪れた薫は大君と対面し、匂宮と中君の縁談を持ち上げつつ、おのが恋心をも訴え、京に迎えたいと申し出るが、大君は取り合わなかった。正二位藤原實陰和歌 春日同詠青柳風静和歌。翌年の春、匂宮の中君への思いはますます募るようになり、夕霧の六の君との縁談にも気が進まない。林子平私家板 文武兼備大學校之圖 文武兼備大学校之図。また、自邸の三条宮が焼失した後始末などで、薫も久しく宇治を訪ねていない。両兎林 中巻 栖鶴編 英一峰画 宝暦九年 稀覯俳書。夏、宇治を訪れた薫は、喪服姿の姫君たちを垣間見て、大君の美しさにますます惹かれてゆくのであった。@1919年 何紹基 石門頌 禮器碑 何子貞 有正書局 唐本漢籍 検:碑帖 本拓本 墨拓 原拓 碑刻 法帖 魏碑 珂羅版 支那 法書道 篆刻 印譜 王羲之。
原本自筆上部に「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。鳳】明治 古文書 一條氏糸譜 清和天皇 辻新次 家紋 武田菱 まくり 共箱 資料 家譜 族譜 検:中国美術 掛軸 硯 墨。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。貞観政要 全10冊揃いセット(全10巻) 南紀学習館蔵 文政6年 /江戸時代 漢籍和本。漢詩のは「天に昇ったり地に潜ったり、あまねく楊貴妃の魂を尋ね求め」という故事に由来する。曹大家女論語図会 和本/文政12年/1815年/村田嘉言画/加賀屋彌助/女四書/江戸期。椎本の原文の中に匂宮の「おちこちの汀に波はへだつともなほ吹きかよへ宇治の川風」とい和歌がある。古刀銘盡大全 全九巻 仰木弘邦 寛政四年正月刋。これは、匂宮と中の君の間を歌い「私たちの間に隔つとも宇治の川風よ私たちを親しくさせてください」と意味で、楊貴妃の魂を尋ね求める」ことにも通じる。古今和歌集 上下巻(二〇巻) 松會開板 孟春吉日刋/元禄寶永頃刋。紫式部が「椎本」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。日蓮上人御傳記 巻2~11巻(大尾)(巻1欠) 延寶九年刋。詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。蜀山百首 太田南畝。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」椎本(しいがもと)の巻》
「椎本」の巻は英文で「The Eastern Cottage」と表記されます。古人俳諧随筆 栗浅園。
《自筆上部の原本自筆上部に原本自筆上部に「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。絵図 (城郭図) 神奈川県 相模國 小田原城 歴史資料 帳仕立て(レターパックライト発送)。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。@1939年 支那全土 検索: 支那 中華民国 軍閥 蒋介石 江南風景 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 軍事地図 満州事変 蘇州府。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。集古圖説 本朝軍器考圖式 上下巻(内上巻の下一册欠)。)
「自筆原本」
自筆右下の上の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。@1915年 楚辞集注 掃葉山房 石印 漢文 古籍 検索: 唐本 漢籍 支那 玉扣 善本 線装 木版刷 木刻本 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 清朝 内府。
《自筆上部の原本自筆上部に「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること
遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。和國諸職繪盡 零本 菱川師宣の名品中の名品 職人つくし。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。f20120603〇古文書 田畑小作年貢請取帳 長野県埴科郡戸倉町 17冊 明治3年~明治19年連続〇和本古書古文書。》
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。英蘭對譯 單語編 松平春嶽公舊藏本。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。@1939年 中支景勝写真集 検索: 支那 中華民国 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 軍事地図 原色版 図版。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。f20110101〇松本楓湖 人物 掛軸〇和本古書古文書。
《「源氏物語」椎本(しいがもと)の巻》
《「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】
という漢詩文の落款が押捺されている。光琳漫画。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。周易占六十四卦口決 寫本 金港/小豆嶋白州撰。》
《匂宮(今上天皇の皇子)・薫の君と宇治八の宮の姫君(中の君・大君)の物語》
《匂宮(今上天皇の皇子)、初瀬詣での帰途に宇治に立ち寄る》
《薫の君、匂宮(今上天皇の皇子)の迎えに八の宮邸に来る》
《匂宮(今上天皇の皇子)と中の君、和歌を詠み交す》
《すさひな》・・・めり」と、そゝのかしたまふ時々、
中の君そ聞こえたまふ。悉曇十八章事 初刷本 正保二年九月上旬開板。姫君は、かやうのこと、
戯れにももて離れたまへる御心深さなり。官版 西史覧要 福地源一郎 福地櫻痴 柳河春三 柳河春蔭。
いつとなく心細き御ありさまに、春のつれつれは、
いとゝ暮らしかたく眺めたまふ。御文(おふみ) 蓮如兼寿 文明五年九月下旬。ねひまさりたまふ
御さま容貌とも、いよいよまさり、あらまほしくをかしきも、
なかなか心くるしく、「かたほにもおはせましかは、
あたらしう、惜しき方の思ひは薄くやあらまし」なと、
明け暮れ思し乱る。俳書 蘆陰集 蕉門俳諧 蘆陰舎竺斎(百堂)編。
姉君二十五、中の君二十三にそなりたまひける。観世流謡本百番 二〇巻揃 村上平樂寺板行 116-5。
《第五段 八の宮、娘たちへの心配》
宮は、重く慎みたまふへき年なりけり。新板絵入 泉親衡物語 森島中良 桂川甫周 平賀源内 116-8 桂川甫周の実弟で蘭学者としても名高い森島中良の小説です。。
ものこゝろ(心)ほそ(細)くおほ(思)して、
御をこな(行)ひつね(常)・・・《よりもたゆみなく》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。軍法図解 有澤致貞 軍学 築城書。
《「源氏物語」椎本(しいがもと)の巻》
《匂宮(今上天皇の皇子)・薫の君と八の宮(桐壺帝の皇子・朱雀天皇の皇太子)の姫君(中の君・大君)の恋物語》
《匂宮(今上天皇の皇子)、初瀬参り(長谷寺参詣)の帰途、宇治・八の宮邸に立ち寄る》
《八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君を歓待》
《八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)姫君(大君・中の君)の将来を案じる》
《八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)も、
(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)「やはりご返事はおあげなされ。延寶六年 書巻。
特に懸想めいたお手紙といったお扱いはすまい。稀少 ヴィンテージ 紙本 肉筆 書道 折帖 古書 古本 高雄山寺 興福寺 西大寺 東大寺 書 古美術 長さ 約506.4cm。
なまじそうするとかえって気を持たせる種にもなりましょう。琴秘曲(乙曲・四季源氏・樂の手)。
まったく色恋事にご熱心な親王ですから、ここにこうした娘がいるとお聞きになると、
そのままにはすまされぬ、それだけのお戯れ》・・・・・なのだろう」
と、ご返事をお勧めになる折々は、中の君が
兵部卿宮(今上天皇の皇子・匂宮)にご返事申される。欧州大戦史の研究・8冊/陸軍大將・杉山元/昭和11年/石田保政が七年有余に至る陸軍大学校在職間心血を打込んで講義した欧州大戦史一部の収録。
姫君(大君)のほうは、こうした贈答には冗談にも手をお出しにならぬご用心深さである。以呂波の外仮名の本字 鱗形屋孫兵衛新板。
八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)は、いつと限らず心細いお暮しぶりで、
春の日長の所在なさには、ひとしお時を過しかねて物思いに虚けていらっしゃる。平安鎌倉武將歌人和歌集帖 江戸中期頃寫。
しだいにご成人なさる姫君(大君・中の君)たちのお姿やお顔だちなどが、
いよいよすぐれて申し分のないお美しさであるにつけても、かえっていじらしい。渡辺次郎右衛門家伝来蔵書目録。
もしもこれが不器量でもいらっしゃるのだったら、もったいなく、こうして埋れさせるに
しのびないといった思いは浅かろうに、などと明け暮れ胸を痛めておいでになる。【古籍善本】 ★ 文献叢編増刊 清三藩史料 ★ 2冊 故宮博物院編 中国歴史 検 中国古書古本珍本漢籍唐本唐物骨董古玩書道碑法帖和本。
姉君(大君)は二十五歳、中の君は二十三歳になっていらっしゃるのだった。細川越中守書状幅。
八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)は今年、重い厄年にあたって
いらっしゃるのだった。厩馬新論 卑牧子較評。
なんとはなしに心細いお気持になられて、ご修行を常・・・・・《日ごろにもまして怠りなくお励みになる。「前賢故実」 洋本 菊池武保著 櫻井庄吉 明治36年発行。》
備考・
美しい大君と中の君の二人の姫君の父・八の宮は、桐壺天皇の皇子であり、朱雀天皇の弟で皇太子でもあった。従一位 中山慶子様書簡 孝明天皇の典侍。明治天皇の生母、大正天皇の祖母、昭和天皇の曽祖母、上皇の高祖母様。本来なら次期天皇と目されていたが政変により都を離れ宇治に住む。【希少古書】大正名家録 大正4年 1915年 二六社編纂局 古書【管理番号bycp本辞0830】。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。海軍兵学校教育参考館図録/非売品/昭和9年/襲藏品の主なるものにつき写真撮影を行ひ解説を附し系統化して参考館総覧とも謂ふべきものを編纂。
《Beneath the Oak (椎本)》
Though with this caveat, he encouraged replies.
It was Nakanokimi who set them down. Oigimi was much too cautious and
deliberate to let herself become involved in the least significant of such exchanges.
The prince, ever deeper in melancholy, found the long, uneventful spring
days harder to get through than other days.
The beauty and grace of his daughters, more striking as the years went by,
had the perverse effect of intensifying the melancholy.
If they were plain little things, he said to himself, then it might not
matter so much to leave them in these mountains.
His mind ran the circle of worries and ran it again, day and night.
Oigimi was now twenty-five, Nakanokimi twenty-three.
It was a dangerous year for him.
He was more assiduous than ever in his devotions.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《柯根(椎本)》
八王一直度送孤独的生涯。即決アンティーク百科事典、江戸期和本1867(慶應3)年『万歳雑書伊呂波引』大雑書、類書、陰陽師、人文科学、歴史民俗学、服務、家族、往来。春日,
更寂寞无聊,常恨日暮,愁思越来越多。呉昌碩印譜 印存 西澪印社 検索: 封泥 篆刻 金石印 金文 石鼓文 雅号印 雅印 古璽 支那 官印 私印 朱印 秦漢印 鄧石如 呉譲之 張瑞図 遊印。
位女公子年越,姿色越增,
竟成了个色美人。『古文書・中山大納言様上書ほか』肉筆写本 中山忠能 幕末の公家宮中政治家。反教八王增加痛苦,
他想:“倒不如得丑些,那埋没在山里也不大可惜,
我的痛苦或可少些。書簡 小宮山楓軒 加藤松羅(又衛門)宛て。”他此日夜。江戸期 寛政年 漢文医学 処方 朱印 漢医学 肉筆 検索:唐本漢籍 傷寒論 支那 善本線装 木版刷 張仲景 殿本 套印 宣紙 白棉紙 清朝 漢方 宋版。
此大女公子二十五,二女公子二十三。初版 中世の関所(畝傍史学叢書) 相田三郎 2.000部限定。
命里算来,今年是八王厄最多的一年。@日本 文字 設計 デザイン 検索:広告 廣告 平面設計図 看板 字体 書体 字体書 美術字 標牌 牌額 銘牌 標識 標志 LOGO 活字 鋳造 書道 書法。
他很担心,念佛比往常更勤了。久保田藩古文書●宝永7年 諸勧進合判 寺社奉行 秋田郡岩城村物成諸役相定條々と一緒にあり 現在の秋田県秋田市 判読文付。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。倭節用悉改袋増字◆古書 全1冊 俟野通尚 西川祐信 法橋西村中和 速水春暁斎 井上治兵衛 東都書林 浪華書林 皇都書林二鳩堂 文政元年-328。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。下野國田沼山城守切腹之事 田沼實秘録 旗本/佐野善左衛門切腹之事 田沼意知殿中殺傷事件の末。
左の写真が「源氏物語」椎本の巻の末尾(原本番号38-B)の押印。1935年 孔子廟堂之碑 検索: 柯羅版 玻璃版 原寸 支那 原拓片 北魏碑帖 法帖 法書道 印譜 漢籍 善本 古墨拓 碑刻石 瓦当 金石 篆刻 唐本拓本。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。故実叢書・武家名目抄・40冊/江戸後期に幕府の命を受けた和学講学所によって編纂された武家故実書・武家故実の研究においては基本的な資料。冬姫は内大臣・通誠の養女。兵器考・4冊・戦前の兵器学のバイブル/昭和15年/砲熕編・一般部/砲熕編・海軍砲熕・小銃/古代編・近代編/古今東西の兵器の大観に通ずるもの。
冬姫は通称。袁中郎流挿花圖會 前編/巻二~巻六(尾) 東雲齋黄雀・祥雲齋秀英他著。正式な名は伊達貞子。四書合講 孟子/三巻 大原翁 復克夫編次。左端の写真は「椎本の巻」末尾の拡大写真。#429 明治時代の漢字の辞書2冊。
上の篆書体は、「升天入地求之遍」【天にのぼり地に入りてこれを求めることあまねし】の押印。【華麗・細密!明治期全頁彩色歴史画!】古兮圖※落丁無 検合戦国武将軍武者絵入浮世絵本天皇朝廷三国志関羽孔明仏教骨董古書籍日本中国朝鮮。
篆書体の左の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真右上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。傳信州中野鈴泉寺町田謙齋(湘湖)資料。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。【売切り屋】学問ノススメ 六編 福澤諭吉 明治7年 官許出版 学問のすすめ 福沢諭吉 古書和本。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(椎本の巻)MRI 46―6B
自筆二つの印のうち上は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款。0026279 官版 孝義録 26冊 堀野屋儀助 文化5年 孝行者 寄特者 忠義者 貞節者 農業出精。
「源氏物語」「椎本の巻」主人公・椎本の資料
下記写真は、「源氏物語絵巻」の中に描かれる大君・中の君の姫君と匂宮と薫の君。1934年 満洲国 地理 計46頁 検索:軍事 地図 洋行 日支事変 南満鉄 総督府 溥儀 関東軍 GHQ 蒋介石 軍閥 張作霖 北大営 汪精衛 支那 生写真。
「源氏物語絵巻 」椎本(大分美術館所蔵)舟に乗り、楽器を弾きながら
八の宮邸に向かう匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君。賴朝一代記 豊亭牛眠作 芳信画 草双紙。邸の中は大君と中の君
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。1938年/戦時/宣言/古文書 検索:支那/七七/事変/蒋介石/国民党/汪精衛/維新政府/満蒙/満州帝国/日中戦争/関東軍部/中支/武動/銃後/総督府。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行
源氏物語「椎本」原本に記されております。通信区画便覧 第五巻 第5巻 広島区内(鳥取.島根.岡山.広島.山口.香川.愛媛県)。紫式部が「椎本」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「椎本の巻」を書いていることがわかります。含章齋兵法書 築城心得・山城國并人數配・城取雜記/五賜七刑切紙/城取追加狭間圖式。この原詩の言葉の引用は、「椎本の巻」に用いられていることで広く知られている。飛鳥帯刀/文久三年暦/1863年/156年前/和紙刷物 検索:木版刷/木刻/彫版/当時物/瓦版/江戸期/古文書/漢文/本物/時代物/支那/伝来/和書/木板。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。■美品 希少 明治42年(1909年)印刷発行■発売所:金桜堂 写真石版縮冊 懐中義太夫 合計15縮冊(『鎌倉三代記』』『義士忠臣蔵』他)。
「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。故事大辞典 上中下3巻 和綴 明治34年 再版 青木崇山堂。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。実験航空読本/豊田堅三郎/昭和19年/3500部/国民学校高等科の生徒を主な対象に実験航空学を僅かな器具と狭い教室とでわかり易く面白く述べた。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。■希少 1800年頃(江戸後期)!風水師用 紙製風水羅盤と紙製風水説明書(二冊)。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。0026674 校正 韓非子解詁全書 巻3-10 8冊 加賀・津田鳳郷 河内屋喜兵衛 加賀藩 明治初刊。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。f19111015〇西洋事情 全10冊揃い(初編3冊 外編3冊 二編4冊) 明治6年再刻 福澤諭吉 慶応義塾〇和本 古書 古文書。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。0024512 復古夢物語 初編 乾坤 松村春輔著 一曜斎國輝画 文永堂 大嶋屋傳右衛門 明治16年。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。中華民国支那事変期名人程硯秋パンフ 検索:演芸梨園/生写真/玉堂春/漢籍/和本/日中戦争/古文書/当時物/古紙/史料/時代物。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。利休茶湯秘傳書・利休茶湯書・2冊/片桐宗幽/利休七荘秘傳茶湯書/元禄十年/江戸期和本。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。東雅・5冊/新井白石/非売品/明治36年/中国の爾雅にならい国語の名詞を15の部門に分け和名類聚抄にみえる物名について語義の解釈をしたもの。撮影後、展示のために再表装をしております。支那/国有鉄道/貨物数及収入/1916-1923年 検索:硬票/中華民国/京漢/鉄路/京奉/北平/前門/軍隊/国民党/北伐軍/南軍/本物/満州事変/南満鉄。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。原草露命傳 上下巻 天草露命傳 天草四郎 キリシタン弾圧迫害 吉利支丹 切支丹。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【貴重! 武者絵づくし】雄臣百勇伝 江戸期1867年 等検名将軍合戦国武将浮世絵本木版画天皇日本歴史侍甲冑武士骨董品古書籍仏教歌舞伎中国。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。茶之湯三伝集・2冊/遠藤元閑/元禄八年/此書三伝集は千宗易利休居士古田織部正小堀遠州三代宗○伝来善之要なる物を頗る蒐集/江戸期和本。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。絵図 (城郭図) 兵庫県 但馬國 出石城(レターパックライト発送)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。@1942年 支那 文学芸術考 検索:書道 唐伯虎 仇英 何紹基 黄公望 孔尚任 敦煌 劉知遠 宋朝 清朝 唐画 生写真 玻璃版 蘇東坡 米元章 山水画。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。御江戸図説集覧。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。◎古文書・武蔵野国久良岐郡(横浜市南区上大岡)の千手院の明治~昭和初期の資料(年貢・帳簿・地券。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。山之井 巻一(春部)・巻四(冬部) 北村季吟の名著 俳書 俳諧。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。新版 薬種名寄帳。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。欽定前漢書 全12冊揃いセット(1-100巻) 光緒甲辰(=光緒30年/1904年) 武林竹簡斎三次石印 /唐本。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。聖徳太子十七ヶ條憲法并未来記/徳失鏡 寛永九年十月十六日寫。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。@中華民国 米南宮十七帖 検:碑帖 拓本 墨拓 原拓 碑刻 法帖 魏碑 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 旧拓片 印譜 唐本 漢籍 王羲之 趙子昴 書聖。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。@1907年 女子外国新地理 検索:支那 唐本 漢籍 唐物 戦前風景 阿片 清帝国 総督府 朝鮮 台湾 満州 事変 清朝 生写真 図版 古建築。母は後水尾天皇皇女女二宮。弘化五年 和本 懐玉御和讃 全 京都 丁子屋 江戸期 古文書 仏教 真宗 経本 和讃。実母は近衛家女房(瑤林院)。アジア写真集・全6冊/南太平洋諸島・南海の明暗・熱帯植物産業写真集・印度・満州農業図誌・朝鮮博覧会記念写真帖/貴重写真資料の宝庫です。幼名は多治丸。【旧家蔵出し】★古書『漢詩講座 全5冊』昭和11年 臨江詩閣★(うぶだし/古文書/漢詩/和歌/和綴じ本/活版印刷/当時物)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【一部写本の可能性あり】 論語徴 10冊セット(甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸) 物茂卿(荻生徂徠) 東都書林 松本新六・善兵衛 発行年不明。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。武田流兵法書(仮題) 瀧川先生・幽山先生 甲陽軍艦論軍法。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。北蝦夷余誌■松浦武四郎■多気志樓蔵板。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。神社古図集/わが国の神社の境内・社殿の古絵図を集成し解説を付したもの/奈良時代から桃山時代/130図版/1000部/宮地直一監修/昭和17年。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。成山帖 明治27年 明治27年新聞切り抜き帖。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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