She has been with me since she was a child and I cannot abandon her now. I am afraid I have not had time these last months for anyone else. It will not go on forever, and I know that you will presently understand." She was ashamed and sorry. When she was alone she wept a great deal. For Kashiwagi matters were worse. The conviction grew that it would have been better not to see her. Night and day he could only lament his impossible love. A group of young friends, in a hurry to be off to the Kamo festival, urged him to go with them, but he pleaded illness and spent the day by himself. Though correct in his behavior toward the Second Princess, he was not really fond of her.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)下」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。医療精義 徴候篇病徴部 三巻 木活字版 南豐/石川遠明卿譯述。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【真作】 上原勇作 龍岡篤敬宛書状 残暑~ A-145。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。仙台領地名所和歌 冷泉爲久・中院通躬他詠 正徳四年仲春季八。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。f20120801〇天草軍記大全 全21巻中8巻欠 13巻 島原の乱 島原・天草の乱 島原・天草一揆 寛永14年(1637年)勃発〇和本古書古文書。現在の今上天皇と系譜がつながっている。甲賀流忍術・戦闘・諜報・捜査・必携/福山松翠/昭和28年/万川集海・軍用秘記其他の忍書や古老の言い伝え等を合せ解剖整理して編集したもの。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。1933年 文徴明 書道法帖 検:碑帖 拓本 墨拓片 原拓 漢碑刻 書法 北魏碑 珂羅版 支那 善本 篆刻 印譜 唐本漢籍 王羲之 石門頌 真賞齋 楷書道。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。@1936年 支那軍備 抗日 世界知識 検索: 中華民国 軍閥 蒋介石 馮玉祥 孫文 国民党軍 生写真 古建築 総督府 北伐革命軍 満洲帝国 日中戦争。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。@1927年 川柳雑俳集 江戸文芸 非売品 日本名著全集 検索:戯作 読本 草双紙 俗文学 談義本 漢語 半紙本 中本 川柳本 俳句本 岡本一平 洒落本。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。古文書 江戸期 御國益御手段之儀ニ付奉申上所見案廉書 高津・吉賀・長安・青原 組 石見國 津和野藩領 島根県 庄屋 大庭家。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。安政従来筆記 下巻 幕末維新記録集。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。十返舎一九画賛扇面幅。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。遂良 書道法帖 千字文 検索:柯羅版 玻璃版 原色 支那 原拓片 北魏碑帖 王羲之 法書 印譜 漢籍善本 古墨拓 碑刻石 瓦当 金石篆刻本 唐本拓本。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。Schikking den woorden van holland 蘭書写本。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。京都の庭園/重森三玲/昭和11年/天金本/従来殆んど人口に膾炙しなかった庭園や忘れられたる庭園に至るまで価値あるものは出来るだけ集めた。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。詞華和哥集 十巻 江戸前期寫。また、各巻ごとの書かれた年については不明。官版・輿地誌略・7冊/内田正雄/明治時代の地理書・世界の地理を略述・西国立志編・西洋事情と共に明治の三書と呼ばれる・当時の教科書。従って、応永五年とは、書き始めの年である。@1932年 現代中華民国満洲国人名鑑 検索:支那 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 孫文 国民党軍 生写真 古建築 総督府 汪精衛 溥儀 張作霖 関東軍。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。絵図 (城郭図) 三重県 伊勢國 長島城 瀧川 一益(レターパックライト発送)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。【模写】書簡 徳川慶篤 近衛右大臣宛て 水戸藩 南山。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。智永真草千字文真蹟 谷氏本 検:碑帖 拓本 墨拓片 原拓 碑刻 法帖 北魏碑 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 朱印譜 唐本 漢籍 王羲之 神品 大唐。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。挿花美玉集 天地人巻 大露庵法橋河村一洗撰 美玉遠州流。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。1956年 絵本 連環画 孔雀東南飛 日本語 検索: 唐本 漢籍 漫画本 美術 傳説 人物絵 仕女絵 美人画 挿絵 小人書 古書 支那 中華民国 古典傅奇。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。由利公正書幅。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。1931年 支那 古書 汪精衛 蒋介石 馮玉祥 孫文 関東軍 陸軍閥 国民党 租界 生写真 革命党 孔祥熈 洋行 巡捕 満洲 総督府 張学良 支那 古建築。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。(和本)木曽路名所図会 全7冊揃 秋里籬島編 西村中和画 和泉屋源七ほか板。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。@1929年 王陽明傳習録 掃葉山房 漢文 古籍 検索: 唐本 漢籍 支那 玉扣 善本 線装 木版刷 木刻本 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 清朝 内府。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。即決 1869(明治2)年『盛岡暦』アンティーク、天文暦学書、超希少、陰陽師、卜占、古暦、明治維新、地方暦、舞田屋版、南部暦、岩手県。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。武州高麗郡入間郡 諸検使書留 赤井利兵衛。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。即決・極稀◆「新史学」木村鷹太郎 直筆書簡(坂本辰之助宛)大正12年頃。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。1938年 支那事変 画報 中華民国 軍閥 旧日本軍 関東軍 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 国民党軍 生写真 古建築 総督府 汪精衛 南京 満洲 蘇州 盧溝橋。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。野々口立圃俳句俳文俳畫巻 江戸前期の俳画の先駆者野々口立圃の真筆絵巻。若菜・下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。免園雜録 高野長英 高橋元貞 蛮社の獄。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。桃太郎御話聞書 淘祖春龜齋丸三先生御話。四年の歳月が経過。1932年 唐拓九成宮醴泉銘 唐本漢籍 検索:支那 柯羅版 玻璃版 原色 原拓片 北魏碑帖 法帖 法書道 印譜 善本 古墨拓本 碑刻石 瓦当 金石篆刻。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。筑波征伐元治太平記 水戸天狗党 武田耕雲斎。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。f20100201〇中村不折 直筆画 明治・大正・昭和期に活躍した日本の洋画家・書家。正五位〇和本古書古文書。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。本多弾正少弼書状 真田伊豆守宛。柏木は、女三の宮の姉・女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。虞列伊氏解剖訓蒙圖 乾坤巻 松村矩明序譯出板 明治五年刻成。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。中国の遊印 検索:印譜 和紙 朱印存 封泥 古印社 篆刻 金石印 石鼓文 篆印 落款 古璽 支那 拓本 法書道 秦漢印 唐本漢籍 缶廬 鄧石如 呉譲之。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。支那事変・海軍航空隊奮戦画報・空臨時増刊/海軍省軍事普及部監修/昭和13年/南京上空の殲滅的空中戦/京空襲の懐出/支那事変空爆日記。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。豊大万寳古状揃 鱗形屋孫兵衛板。
自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。文化新撰 狂歌百人一首 六樹園撰 北尾重政画。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。覺鑁大師 孝養集 上中下巻 116-11。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
「若菜・下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。1894年 明聖真経 光緒年 木刻本 検索: 唐本 漢籍 善本 写刻 官本 筒子頁 白棉紙 巾廂本 殿本 聚珍板 経折本 木版 紅印譜 支那 宋版経 古籍。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。【推薦!貴重・稀少戦前和書【全頁流麗絵入+説明入】日本歴史畫集 合戦国武将軍武者絵浮世絵本天皇武田信玄上杉謙信徳川家康古書籍骨董仏教。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。(和本)標註十八史略正文 全7冊 渡井量蔵標註 内藤傳右衛門板。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。1933年 熱河風景 82図 承徳 避暑山荘 何應欽 黄郛 蒋介石 支那 中華民国 軍閥 閻錫山 馮玉祥 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 満州事変。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。1936年 漢書 唐本 漢籍 上海大光書局 精装本 検索: 善本 宣紙 白棉紙 玉扣紙 木版 木板 木刻 套印 紅印 初版 殿本 聚珍本 漢文 漢学 漢印譜。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。趣味の絵科学・飛行機と航空船/白川稔/昭和8年/本書は面白く分り易い最新科學の教科書であるが写真図解による解?を主とし文字は従とした。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘の幾千姫(玉映)の落款。磯まくら 冥々 乙人 東北俳壇 俳諧 俳書。
自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。新撰彫物画譜 小島勝美画著 彫刻。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。はいかい 如是我聞 俳諧 浮簽狂人久藏著 贅亭主人諫圃(夏目成美)校 小林一茶他。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。新撰 戯子名所圖會(やくしゃめいしょずえ)三巻合本。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。新版 島原軍物語 巻中(上中下巻内) 寶永元年版。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜・下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。善光寺如來三國傳來物語 巻第五(大尾) 江戸日本橋/万屋清兵衛板行。》
《いは》・・・・・けなかりしほと(程)より、あつかひそめて、
み(見)はな(放)ちかたけれは、かう、つきころ(月頃)、
よろつを知らぬさまに、過くし侍るそ。善悪道中記 初編~六編 一筆戯作。おのつから、このほと過きは、
見直し給ひてん」なと、きこえ給ふ。春興噺萬歳 巻之一・巻之二(全五巻内)。かく、けしきも知り給はぬも、
いとほしく、心くるしくおほされて、宮は、人知れす、涙くましくおほさる。正二位藤原實陰和歌 春日同詠青柳風静和歌。
かむの君は、まして、中々なる心地のみまさりて、起き臥し、
明かし暮らしわひ給ふ。林子平私家板 文武兼備大學校之圖 文武兼備大学校之図。祭の日なとは、物見に爭ひゆく君たち、
かき連れきて、いひそゝのかせと、なやましけにもてなし、
なかめふ(臥)し給へり。両兎林 中巻 栖鶴編 英一峰画 宝暦九年 稀覯俳書。女宮をは、かしこまり・・・・《をきたるさまに》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。@1919年 何紹基 石門頌 禮器碑 何子貞 有正書局 唐本漢籍 検:碑帖 本拓本 墨拓 原拓 碑刻 法帖 魏碑 珂羅版 支那 法書道 篆刻 印譜 王羲之。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得た我が身を回顧する源氏の君》
《柏木と女三の宮(前朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)禁断の愛にそれぞれおののく》
《(源氏の君)「対の上(紫の上)は、もうこれが最期かとも懸念されるのです。貞観政要 全10冊揃いセット(全10巻) 南紀学習館蔵 文政6年 /江戸時代 漢籍和本。
いまさら通り一ぺんの扱いと思われたくないものですから。曹大家女論語図会 和本/文政12年/1815年/村田嘉言画/加賀屋彌助/女四書/江戸期。
あの人は、幼い・・・・・時分からわたしが面倒をみてきておりまして、
この期(ご)に及んで放っておくこともできませんので、こうして何か月も万事を
うち捨てた有様で過しているのです。古刀銘盡大全 全九巻 仰木弘邦 寛政四年正月刋。一段落しましたら、
わたしの気持もしぜんとお見直しいただけましょう」
などと対の上(紫の上)の看病のために宮(女三の宮・前朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)の
もとにお越しになれないご事情をお申しあげになる。古今和歌集 上下巻(二〇巻) 松會開板 孟春吉日刋/元禄寶永頃刋。
殿(源氏の君)は、宮(女三の宮・前朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)と逢瀬のことは知る由もない。日蓮上人御傳記 巻2~11巻(大尾)(巻1欠) 延寶九年刋。
こうして殿(源氏の君)は、督の君(柏木)と宮(女三の宮)とのあの件については
まるでお気づきでいらっしゃらないにつけても、宮(女三の宮)はおいたわしくも
申し訳なくもお思いになって、人知れず涙のこみあげてくるお気持である。蜀山百首 太田南畝。
督の君(柏木)は、なおさらのこと、なまじ宮(女三の宮)との逢瀬(おうせ)を
遂げたばかりにかえって苦しみがつのって、起きても寝ても、明けても暮れても、
つらい思いに時を過しかねていらっしゃる。古人俳諧随筆 栗浅園。
賀茂の祭の日などには、先を争って見物に出かけていく君達(きんだち)が
あとからあとからやってきて、口々に同行を勧めるけれど、いかにも気分のすぐれない様子で、
督の君(柏木)は、物思いの身を横たえていらっしゃる。絵図 (城郭図) 神奈川県 相模國 小田原城 歴史資料 帳仕立て(レターパックライト発送)。
督の君(柏木)の北の方(正室)の女二の宮(前朱雀天皇の女二の宮・女三の宮の姉)に
対しては、表向きは丁重にかしずいて・・・・・《いるかのようにお扱いになっていらっしゃる》
備考1・源氏の君は先天的な優秀性のゆえに帝の寵愛を受けた。@1939年 支那全土 検索: 支那 中華民国 軍閥 蒋介石 江南風景 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 軍事地図 満州事変 蘇州府。現在は、准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得ている。集古圖説 本朝軍器考圖式 上下巻(内上巻の下一册欠)。
備考2:冷泉天皇は桐壺天皇と藤壺中宮の皇子としているが実際は源氏の君と藤壺の皇子。@1915年 楚辞集注 掃葉山房 石印 漢文 古籍 検索: 唐本 漢籍 支那 玉扣 善本 線装 木版刷 木刻本 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 清朝 内府。東宮(皇太子)は、今上天皇として即位し、今上天皇と明石女御の御子は、源氏の君の孫、のちに次期天皇として即位する未来が開け源氏の君の栄華が際立つ。和國諸職繪盡 零本 菱川師宣の名品中の名品 職人つくし。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。f20120603〇古文書 田畑小作年貢請取帳 長野県埴科郡戸倉町 17冊 明治3年~明治19年連続〇和本古書古文書。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。英蘭對譯 單語編 松平春嶽公舊藏本。
《New Herbs Part Two(若菜・下)》
She has been with me since she was a child and I cannot abandon her now.
I am afraid I have not had time these last months for anyone else.
It will not go on forever, and I know that you will presently understand."
She was ashamed and sorry. When she was alone she wept a great deal.
For Kashiwagi matters were worse.
The conviction grew that it would have been better not to see her.
Night and day he could only lament his impossible love.
A group of young friends, in a hurry to be off to the Kamo festival,
urged him to go with them, but he pleaded illness and spent the day by himself.
Though correct in his behavior toward the Second Princess, he was not really fond of her.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《若菜・下》
再几,自会看到我的真心。光琳漫画。”三公主看源氏全不知情,
心中越,得很他不起,只得地流泪。周易占六十四卦口決 寫本 金港/小豆嶋白州撰。
柏木尤其痛苦,心情一天比一天劣,没精打采地度日。悉曇十八章事 初刷本 正保二年九月上旬開板。
茂祭那天,公子争先恐后,前往礼。官版 西史覧要 福地源一郎 福地櫻痴 柳河春三 柳河春蔭。他都来柏木同行,
但柏木心不佳,一概拒,只管愁眉不展地着。御文(おふみ) 蓮如兼寿 文明五年九月下旬。
他自己的妻子二公主度恭敬,几乎从来不曾叙,
常常独宿在自己室中。俳書 蘆陰集 蕉門俳諧 蘆陰舎竺斎(百堂)編。此他正百无聊地独坐凝思,
忽一个女童拿了一枝茂祭插的葵草走来,便独吟道:
“葵草青青好,神明不簪。観世流謡本百番 二〇巻揃 村上平樂寺板行 116-5。
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。新板絵入 泉親衡物語 森島中良 桂川甫周 平賀源内 116-8 桂川甫周の実弟で蘭学者としても名高い森島中良の小説です。。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。軍法図解 有澤致貞 軍学 築城書。冬姫は内大臣・通誠の養女。北魏鄭文公下碑 柯羅版 玻璃版 原寸大 検索: 支那 原拓片 魏碑帖 法帖 書道 印譜 法書法 拓本 古墨拓 碑刻石 瓦当 金石 篆刻 唐本漢籍 原色。
冬姫は通称。延寶六年 書巻。正式な名は伊達貞子。稀少 ヴィンテージ 紙本 肉筆 書道 折帖 古書 古本 高雄山寺 興福寺 西大寺 東大寺 書 古美術 長さ 約506.4cm。2つとも貞子の印。琴秘曲(乙曲・四季源氏・樂の手)。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。欧州大戦史の研究・8冊/陸軍大將・杉山元/昭和11年/石田保政が七年有余に至る陸軍大学校在職間心血を打込んで講義した欧州大戦史一部の収録。
左上端の細長い落款は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩文の印。以呂波の外仮名の本字 鱗形屋孫兵衛新板。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。平安鎌倉武將歌人和歌集帖 江戸中期頃寫。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。渡辺次郎右衛門家伝来蔵書目録。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。【古籍善本】 ★ 文献叢編増刊 清三藩史料 ★ 2冊 故宮博物院編 中国歴史 検 中国古書古本珍本漢籍唐本唐物骨董古玩書道碑法帖和本。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。細川越中守書状幅。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・下の巻)MRI 35―64B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。呉昌碩印譜 印存 西澪印社 検索: 封泥 篆刻 金石印 金文 石鼓文 雅号印 雅印 古璽 支那 官印 私印 朱印 秦漢印 鄧石如 呉譲之 張瑞図 遊印。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・下の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・下)」(源氏物語絵巻)
朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
上の女性三人のうち右から紫の上は和琴、明石の女御は箏、女三の宮の琴。『古文書・中山大納言様上書ほか』肉筆写本 中山忠能 幕末の公家宮中政治家。
手前の後ろ姿で琵琶を弾いているのが明石の君
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。文政三年加州武鑑 矢野倉方昌記 天保四年三月。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。1938年/日中戦争/満鉄/北京観光案内/古文書/当時物 検索:芦溝橋事変/満州帝国/関東軍/総督府/督軍/租界/洋行/公署/支那/新京/奉天/抗日。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。【極稀少書】■石村式 速記の完全独習 検定1級合格まで 石村善左 評論社 昭和46年■公費・領収書可 即日発送 送料164円-。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。華道 池坊 免許状(A048)。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。明治勲章之勲八等瑞寶章証書/菊花紋章透かし/1940年/大日本帝国天皇/国璽/賞勲局 検索:菊の御紋/神武天皇勲等簿冊/支那事変/古文書日中戦争。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。1934年 満洲国 地理 計46頁 検索:軍事 地図 洋行 日支事変 南満鉄 総督府 溥儀 関東軍 GHQ 蒋介石 軍閥 張作霖 北大営 汪精衛 支那 生写真。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。賴朝一代記 豊亭牛眠作 芳信画 草双紙。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。1938年/戦時/宣言/古文書 検索:支那/七七/事変/蒋介石/国民党/汪精衛/維新政府/満蒙/満州帝国/日中戦争/関東軍部/中支/武動/銃後/総督府。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。@1902年 衆議院議員人名録 岩本幾平誌 筆書 肉筆 117年前 検索: 写本 写経 手書 毛筆 古文書 当時物 本物保証 和本 和紙 在銘 落款 明治期。撮影後、展示のために再表装をしております。淡路国名所図会・5冊/暁鐘成編・松川半山・浦川公左画/昭和9年/淡路国風景/天皇皇后陛下へ献上済・由良要塞司令部検閲済/和装本/図版豊富。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。大阪より満鮮北支へ/昭和11年/満州国・北支那/鬼が出るか蛇が出るか一行五56名/大阪財界を代表するあらゆる方面の人士を網羅した団体である。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。大坂冬御陣覺書 初巻・終巻 大阪冬の陣。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。0026360 月瀬記勝 乾坤 2冊 斉藤拙堂 明治14年 津藩。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。拾遺 続江戸砂子 享保21年版 1,2,5巻計3冊 1巻程度特に悪し。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。四庫全書総目 上/下。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。■『今次大戰と裏のニュース【世界猶太情報】』國際政經學會調査部譯編。■國際秘密力研究叢書第10冊。昭和16年初版凾付。政經書房刊。。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。☆明治23年和装豆本・3冊揃☆辻子熊太郎(著)プール女学校教師・英国ボルトン氏(文辞)☆日本風俗☆。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。0026842 【和本 育児書】 聞驚都計子(ぶんきょうつけこ)五損道人 文政13年 17丁。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。済斎詩鈔・乾坤/山田準・山田済斎・明治-昭和時代前期の漢学者/非売品/昭和15年/山田方谷の孫娘と結婚・陽明学研究の王学会を主宰/和装本。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。吾妻百人一首(P144)。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。故事大辞典 上中下3巻 和綴 明治34年 再版 青木崇山堂。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。実験航空読本/豊田堅三郎/昭和19年/3500部/国民学校高等科の生徒を主な対象に実験航空学を僅かな器具と狭い教室とでわかり易く面白く述べた。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。■希少 1800年頃(江戸後期)!風水師用 紙製風水羅盤と紙製風水説明書(二冊)。母は後水尾天皇皇女女二宮。0026674 校正 韓非子解詁全書 巻3-10 8冊 加賀・津田鳳郷 河内屋喜兵衛 加賀藩 明治初刊。実母は近衛家女房(瑤林院)。f19111015〇西洋事情 全10冊揃い(初編3冊 外編3冊 二編4冊) 明治6年再刻 福澤諭吉 慶応義塾〇和本 古書 古文書。幼名は多治丸。皇国名医伝・3冊/此書旧題曰名医小史/嘉永4年序/浅田宗伯は慶応元年(1865)フランス公使ロッシュの難病を治療したことでも有名な医者/和装本。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。@1922年 日本陶磁器図説 検索: 原色版 着彩版 玻璃版 唐草 瓷器 生写真 男爵 支那 越州窯 非売品 在銘 影青瓷 宋瓷 民窯 官窯 柯羅版 漢瓦。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。0024512 復古夢物語 初編 乾坤 松村春輔著 一曜斎國輝画 文永堂 大嶋屋傳右衛門 明治16年。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。中華民国支那事変期名人程硯秋パンフ 検索:演芸梨園/生写真/玉堂春/漢籍/和本/日中戦争/古文書/当時物/古紙/史料/時代物。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。利休茶湯秘傳書・利休茶湯書・2冊/片桐宗幽/利休七荘秘傳茶湯書/元禄十年/江戸期和本。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。東雅・5冊/新井白石/非売品/明治36年/中国の爾雅にならい国語の名詞を15の部門に分け和名類聚抄にみえる物名について語義の解釈をしたもの。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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